当サイトはアフィリエイト広告を利用しています

六波羅蜜寺 空也上人と12年に一度の御開帳

お出かけ
スポンサーリンク

秘仏であるご本尊・十一面観音菩薩立像の辰年御開帳が2024(令和6)年11月3日(日)~12月5日(木)にありました。
これに合わせて訪問した六波羅蜜寺。超有名どころを少し外して、まだインバウンド観光客にあまり見つかっていない京都のお寺をご紹介します。

スポンサーリンク

町名の由来とは

951(天暦5)年、空也上人(くうやしょうにん)により創建された六波羅蜜寺。創建当時は西光寺と称していたそうですが、977(貞元2)年に延暦寺の中信という僧が六波羅蜜寺と改称しました。

六波羅蜜寺の門前から寺内を見たところ
六波羅蜜寺

空也上人は「南無阿弥陀仏」と口に出して唱える称名念仏(しょうみょうねんぶつ)を広めたとされる僧です。

ウィキペディアによると自らの出自を語ることはなかったとされていますが、六波羅蜜寺公式サイト(https://rokuhara.or.jp/history/)には「醍醐天皇第二皇子光勝空也上人により開創された」とあります。

ろくろはドクロ?その由来とは

六波羅蜜寺の住所は京都市東山区轆轤町81-1。轆轤は「ろくろ」と読みます。
陶芸職人たちが多く住んでいたことからこの地名になったのが江戸時代のころ
それ以前は髑髏(どくろ)町と呼ばれていたそうです。

なぜどくろ町と呼ばれていたかというと、平安遷都以来この付近には都で出た遺体が運ばれ風葬または鳥葬されるところでした。

「鳥辺野[とりべの]」と呼ばれ、平安京の三大葬送地(鳥辺野、化野[あだしの]、蓮台野[れんだいの])になりました。

風葬とは遺体を火葬したり埋葬したりせず、言わば野ざらしにして自然と朽ちていくのを待つという葬送の一種。
鳥葬とは、カラスなどの雑食またはトビなど猛禽類の鳥に遺体をついばんでもらいあの世へ送る方法です。鳥辺野の地名の由来とも言われています。

このようなことから、この辺りにはドクロが多く散乱しており、江戸時代に轆轤町と改名されるまでは髑髏町と呼ばれていたのだとか。
あまりにもストレートすぎる地名だったから改名されるのも当然ですかね笑

京都市広報板の下に書かれた住所
広報板に明記された通りここは「轆轤町」
六道の辻の交差点にある石碑
六波羅蜜寺の近くにある六道の辻
スポンサーリンク

12年に一度の御開帳

そんな歴史ある轆轤町に建つ六波羅蜜寺は真言宗智山派の寺院西国三十三所第十七番札所で山号(さんごう)は補陀洛山(ふだらくさん[せん])。山号とは仏教寺院の名称の前に冠する称号のこと。一番有名なのは「比叡山延暦寺」でしょうか。この場合の山号は比叡山です。すべての寺院に山号があるわけではなく山号を冠さない寺院もあります。

本尊は国宝・十一面観音立像辰年、つまり12年に一度、秘仏である本尊の十一面観音立像が御開帳され、今年(令和6年)の11月3日~12月5日まで一般公開されました

十一面観音菩薩の御開帳をお知らせするポスター
2024年に行われた12年に一度の十一面観音菩薩の御開帳のポスター

私が訪れた11月29日は平日でしたが、さすがに12年に1度の御開帳なだけあって結構混んでいました。とは言えお寺の外にまで行列ができるほどではありませんでしたが。
まあ紅葉シーズンでもあったので京都市内はどこも混雑している様子でしたけどね。

紅葉と桜のシーズンの土日祝の市内は超激混みになりますので、マイカーにせよ公共交通機関にせよ覚悟をもって来てください笑

その十一面観音立像は259㎝あり、けっこう大きく感じました。
多くの人が靴を脱いで本堂に上がり本尊の前に座り手を合わせています。

人が多かったので極力時間をかけずにという心遣いをされている方がほとんどだったように感じました。

混み合っているような時ほど周りへの配慮ができるというのは日本人ならでは、というわけではないでしょうが日本人として嬉しく、誇らしく思えました。

スポンサーリンク

空也上人立像は令和館で

本堂は室町時代の1363(貞治2)年に建てられたものが現存しています。創建当時のものではないにせよ650年以上前の建物が残っているというのはすばらしいですね!

六波羅蜜寺の本堂
本堂へは階段の前で靴を脱いで上がります

寺院の境内はあまり広くはないのですが本堂のほかに福寿弁財天堂や清盛塚、遊女・阿古屋(あこや)を弔う阿古屋塚、銭洗い弁財天、令和館などがあります。

六波羅蜜寺令和館へ続く通路
本堂の横に令和館への通路があります

空也上人像が見られるのは令和館。入館料大人600円、中学・高校・大学生500円、小学生400円かかりますが興味がある方はぜひ入館してください。

六波羅蜜寺令和館の銘盤
社務所はとても混んでいるので直接令和館へ行って料金を支払ったほうが早く入れます

重要文化財・空也上人立像は鎌倉時代、運慶の四男である康勝の作
「南無阿弥陀仏」と念仏を唱え歩いた空也の姿とされ、口からは6体の小さな阿弥陀仏が現れています。南・無・阿・弥・陀・仏の念仏が変化したんだとか。

空也上人立像の写真
一目見たら忘れられない空也上人立像の写真

空也上人像は頭からつま先までとにかく写実的な像です。苦しんでいる人々を救うため修行し、念仏を唱え行脚していたであろう姿そのままのように見えました。

深く語ることはできませんので(私に見識や表現力がないという意味です)、ぜひ実物をその目で見てください。

その隣にはこちらも重文の平清盛像がありました。鎌倉時代の作で作者ははっきりと分からないようで「慶派の誰か」ということらしいです。またこの像は「平清盛であると伝わっている」とのことです。

この像も写実的で、特に目のあたりだとか表情そのものがとても印象に残りました。何というか薄っすら笑みを浮かべているような、少し不気味にも感じられるような表情でした。

空也上人像と同じく、実物を目の当たりにすれば何か感じるものがあるかもしれませんのでぜひ見に行ってほしいですね

令和館にはほかにも薬師如来坐像(重文、平安時代)や地蔵菩薩立像(重文、平安時代)、四天王像(重文、平安時代と鎌倉時代)、運慶坐像(重文、鎌倉時代)ほか重文の仏像を多く拝見することができます。有料ではありますがおすすめの施設です。

スポンサーリンク

御朱印帳は忘れずに

今回私は御朱印帳を持っていくのを忘れたのでいただくことはできなかったのですが、御朱印をいただけます。

また12日おきに巡る「巳の日(みのひ)」や60日おきに巡る「己巳の日(つちのとみのひ)」は縁起の良い日とされ、特別な御朱印を授与していただけます

縁起を担ぎたい人は巳の日などに参拝して御朱印をいただくようにするといいことあるかも。

スポンサーリンク

まとめ

決して大きな境内とは言えないながらも見どころがしっかりある六波羅蜜寺。

旗が並んで建てられている六波羅蜜寺
六波羅蜜寺の近くにも観光スポットが多くあります

近くには古来、この世とあの世の境界で冥界への入り口ともいわれている「六道の辻」や小野篁(おののたかむら)が冥土へ通うのに使ったという伝説の「黄泉がえりの井戸」がある「六道珍皇寺(ろくどうちんのうじ)」、亡くなって埋葬された妊婦から生まれた赤子を育てるために幽霊となって毎夜飴を買いに来てそれで育てたという「みなとや幽霊子育飴本舗」などにも歩いて行けるので軽い観光にちょうどいい感じだと思います

またこの辺りからは「風神雷神図屛風」(国宝)で有名な「建仁寺」へ徒歩5分程度で行けますし、清水寺方面へも徒歩10分程度の場所にありますので有名どころにも行きやすい立地ですので一度立ち寄ってみてはいかがでしょうか。

それではまた。

コメント

タイトルとURLをコピーしました